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伊藤若冲



伊藤若冲は、十八世紀の日本の芸術で、円山応挙に継ぐ名声と 力量を持った希有な絵師です。
京都の青物問屋の長男に生まれましたが、 四十歳で家督を弟に譲り、以降、夢中になって好きな画業に専念。
当時流行の狩野派に学びつつ、狩野派を超える表現を目指し、 中国宋元画の模写をしながら、 全く独自の絵画的世界を創造するに至りました。

若冲の特長である動物、植物を描写する鮮やかな色彩、 現実よりも精緻繊細な造形力、そして見事な独自の描法などが、 海外でも高く評価され、現代でも熱烈なファンが増えています。

【伊藤若冲】
1716  2月8日、京都高倉錦小路の青物問屋「桝屋」主人三代目 伊藤源左衛門の長男として生まれる。
1738  23歳、父没、若沖四代目当主となる。 この頃、狩野派の絵師に学ぶ。京都の寺院などに所蔵される 中国宗元画の模写を千本にわたり営々と続ける。
1752  37歳、この頃より大典禅師と交わり、若沖の居士名を与えられる。
1755  40歳、次弟宋厳に家督を譲る。茂右衛門と改名、画業に専念する。
1758  43歳、「動植綵絵」制作に着手。
1759  44歳、鹿苑寺大書院の障壁画を制作
1765  50歳、「釈迦三尊像」「動植綵絵」を相国寺に寄進。
1768  53歳、『平安人物志』の項に応挙に継ぐ三番目に名前が載る。
1776  61歳、石峰寺「五百羅漢石像」の制作に着手。
1788  73歳、京都大火により、居宅、相国寺焼亡。
1790  75歳、大阪府西福寺に金地濃彩襖絵「群鶏図」を描く。
1791  76歳、京都深草の石峰寺に隠棲。
1800  85歳、九月八日あるいは、十日没。石峰寺に土葬。 十月二十七日、相国寺で法要営まれる。




美しいキモノ 2010秋号掲載作品


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アシェット家庭画報社刊 美しいキモノ2010年秋号に弊社の「伊藤若冲の世界」を掲載させていただきました。

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